序-1 私は特許で未来を掴んだ

スポンサードリンク

2005年4月1日、私は希望に溢れていた。

世界にその名を轟かす大手の事務機器メーカー。売り上げは2兆円を超え、国内で一万人の従業員が働き、平均年収は700万円を超える一流企業。そんな企業の正社員として横浜で社会人生活をスタートさせた私は、定年までこの会社で働き、老後は退職金で安泰な生活を過ごすという、皆が憧れる人生プランを描いていた。

しかし、そんな希望はわずか3ヶ月で裏切られることになる。私は新人配属の結果、大阪にあるレーザープリンターの新製品開発事業部(大阪開発センター)に配属となった。大阪大学大学院を卒業し、東京で社会人生活を満喫しようと考えていた私が降り立ったのは、大阪大学のキャンパスが目の前にある古びた工場であった。

もちろん、最初から希望を失っていた訳では無い。大阪には愛着があったし、大阪開発センターは「キヤノンを超えるすごい製品を作るぞ!」という目標を掲げていた。私は大阪開発センターの可能性を信じて、まずはひたすらに仕事に邁進して行った。

しかし、配属から1年が経った2006年、一向に製品が完成しない。本来ならば製品が発売されている時期のはずにも拘わらず、動作試験で不具合を連発し、発売する見込みが立たない。私はその間、月に100時間超の長時間残業を厭わず、不具合対策、設計変更と業務に邁進してきた。自分の力が足りないせいで製品が出ないのでは無いかと、自分を責めたりもした。だが、仕事に慣れるにつれて少しづつ周りを見る余裕が出てきた私は、徐々に違和感を覚えつつあった。

100時間超の長時間残業をしているのは私を含む若手が中心で、40歳以上のおじさんはさっさと帰ってしまう。課長は1日中ソリティアばかりしている。ちょっとミスをしたら怒涛のごとく説教をしてくる先輩の仕事は、よく見るとミスだらけだ。ずっとデスクに向かっていると思っていた先輩は、寝ていただけだった。

そうして、「この部署の人たちは口だけで、誰も本気ですごい新製品を作ろうとは考えていない」「この部署は本社もお荷物と認識しているようだ、遠くない時期に潰れるな」と気づき、このままではどこにも通用しないダメ人材のままこの会社を放り出されてしまうと不安で一杯になった。

何とかしなければいけないと危機感は募ったが、転職という考えは無かった。入社以降、まともな実績を残していないので他の会社で通用する自信が無かった。また、この会社は一流企業と信じていたので、もっと条件の良い会社に転職するのは難しいと思っていた。この悩みは私だけでなく、2015年に電通に入社して、1年目に自殺してしまった高橋まつりさんの苦境にも共通することがあると思う。

そこで、私は今の職場でできる範囲の中で、自分を高める実績を積む方法を考えるようになった。上手く行ったら会社の花形部署に栄転できたり、良い条件で転職できるような実績を積む方法は無いか、考え続けた。

まずは、与えられた仕事をこなしているだけなのがいけないと、様々な設計アイデア、不具合対策を提案し、商品開発に貢献しようとした。だが、入社2年程度の若手の意見は年功序列の組織では簡単には採用されない。良いアイデアだったとしても理由無く上司に却下されたり、他の部署の了解が得られなかったり、埋もれたままになっていた。何とかして自分のアイデアを世に出したい、爪痕を残したいともがいていた私に訪れたチャンスが特許だった。

部署の製品には採用されなかったが、私のアイデアは会社内の他部署やライバル会社が実施する可能性のあるものだったので、知財部の目に留まり、特許として出願することができた。そうして、アイデアをぶつける相手を見つけた私は、特許をどんどん出すようになっていく。入社2年目の2006年は6件の特許を出すことができた。すると、翌年の2007年春、会社内の特許表彰にて、新人賞と事業部発明件数1位をW受賞する。

新しいアイデアを考え、特許を出願し、表彰されるというサイクルを見つけた私は、以降、特許活動に邁進していくことになる。特許ノルマは半年で1件であったが、全く気にすることなく、多い時は半年で9件の特許を出願し、実績を積み重ねていった。

そして、2012年に事業部発明件数1位を6連覇した実績が認められ、念願の本社の花形部署に異動できた。その後も特許を頑張り続け、2015年には事業部発明件数1位を9連覇まで延ばした。2016年1月に会社の歴代記録を更新するペースで特許登録が100件に到達した。

この会社では特許登録数が100件に達するとパテントマスターとして認定される。本来は定年まで掛けて達成するような称号であるが、私は10年で到達してしまった。一つの達成感を感じた私は、自分の力をより広い世界で試したいと決意し、2016年4月に会社を退職した。

現在は、パテントマスターを名乗りながらフリーランスエンジニアとして活動中である。

このように、私はいわゆる「ブラック」な職場に配属されながらも、特許を通じて自分のアイデア発想力を磨き続けてエンジニアとして成長し、フリーランスとして活動できるまでの実力と実績を掴んだ。

私は新しいアイデアを考え、特許を出すことで未来を掴んだのだ。